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October 2004

夫婦

一週間の鹿児島・甑島での調査旅行を終え、帰ってきたオットと食事する。

最初は楽しく鹿児島の話を聞いたり、留守中の私の出来事を話したりしていたが、途中から話し合いとなった。
私が意地を張ること(例えば、重い荷物を持ったり、体が不調なのに稲刈りで休憩しなかったり)に対して、「性格の違いだからしょうがないにしても、命は大事なんだから」とオットが苦言を呈してきたのだ。

話し合っているうちに、私は、自分でやろうと思って始めたことについては、最後までやりたいと思っていて、そこで「止めたら」と人に言われると意地になってしまうこと、稲刈りなど、生業としている人がいるのに、少し不調だからと言って休んでしまっては、農家の人に申し訳ない気がしていたこと、など、自分の気持ちに気づいてきた。そして、それをオットに言ってみた。
オットはオットで、私の言うことになるほど、とうなずいたり、「でも、心配している俺の思いも分かってくれよ」と話したり…。
最終的に、相手のいろんな思いが見えてきて、実に充実した話し合いとなった。

もう一つ、セクハラなどハラスメントについても話した。今回は「男として」「女として」の意見を述べる。

私は男女の争い、あるいは人と人の争いは、悉く相手への無理解が主な原因だと思っているので、それさえ避ければ、争いごとは少し減るのではないかと思っている。
そんなことを、ハラスメントの話と合わせて話す。

私たち夫婦は、話し合い好きだ。
これまで目だったケンカはなく、「議論」および「意見表明」をもって、もめごとを解決してきた。そのたびに、「ああ、夫婦だなあ」なんて、感激してみたりして。

「あらゆる命を大事にしたいんだ」
こんなことを真剣に語れるオットを、私は密かに尊敬してもいるのである。

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串揚げ

ネットで知り合った人たち4人と、ご飯を食べに行った。
自由ヶ丘の「てっぺん」。串揚げ専門店だ。
野菜、魚や肉、果物など、全部で24、5種類。すべて一本ずつ頼んだ。

メンバーのうち会ったことがないのは一人だけだったが、その人ともすぐに打ち解けた。
皆さん私より4、5歳年上なのだけど、それぞれ体験が豊富で、テーマは「会社でのセクハラ」「飲み会」「一人でどこまで行動できるか(飲食店、結婚披露宴など)」「ペットの話」「同業他社の話」などなど、尽きない。

今、私が主に付き合っている人たちは、大学の部活動の友人たち、大学のゼミの友人たち、このネットのオフ会メンバーと、数人の大事な友人たち。
それぞれ特徴があり、年を重ねるごとに、その付き合い方、話の内容が少しずつ異なってきてなかなか面白い。

今日のメンバーは、ステキな社会人だけれど、うち2人が完璧なスッピンで、「大人の女性は化粧するものらしい」という私の思い込みを打ち砕いた。肌が弱いから化粧はしないということだったけど、その分、月に一度「自分へのご褒美」としてエステに行き、肌を整えているとのこと。そのキメ細かさは、とてもメイクをしていないと思えないものだった。

串揚げで幸せな夜であった。

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和宮様御留のその後

花組芝居のホームページに、「大満足だったが笑いが起きたのが残念」と書き込んだところ、劇団座長の加納幸和さん(!)より返事が来た。
「日本古来の感性では、相対する物事を切り離して考えないんです。『可笑しくて、やがて悲しい』これは今も日本人の琴線だと思ってます。隠し味の塩が饅頭の甘さを引き立てるって事有りますでしょ。」(ここに書いていいのか分からないけど…身内に向けた日記だから…いいかな?)とのこと。

なるほどなー、とも思う。
哀しみの中にある「可笑しみ」。可笑しみの中にある哀しみ。
舞台というのは、結構、奥深いのかもしれない。

ただ、この舞台のよさは「どうしようもない、人々の哀しみ」を包み込む、終盤の温かい華やかさ、にあると思うので、何も、悲劇的なシーンに笑いをあえてもちこむことはないのではないか、という思いは残るのではあった。

最近観た中では、最も好きな舞台だったのは確かである。

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一皮

最近、また一皮むけた気がする。
どうむけたかは、あらためて書こうと思っているが、前にも一皮向けた実感があったので、最近だけで二皮向けたことになる。
死ぬまでに、何度も何度も皮がむけていくのかもしれない。

以前、人の最も中心にあるのは「善」か「悪」か、友人に問うたことがあった。
つまり、皮をむいてむいていったとき、最後に残るのは何か、である。

私は最も中心にあるのは、「善」だと思っている。キラ、キラ、と光っている玉をイメージする。
一緒にいた友人の一人は、「悪」だという。
人間のもつ、最もドロドロしたものが、あるという。
いわゆる性善説、性悪説、ということかもしれない。
育った環境や、その人の性格によって出てくる答えが違うと思い、おもしろかった。

別のところで、また聞いてみた。
すると、「両方じゃない?」という答えが返ってきた。
これが多分、一番多い答えではないかと思う。平均的な、標準的な。

確かに、両方あるかもしれない。
ドロドロとキラキラが共存して、人ができあがるのかな、と。

人間とは、誰からも教えられていない「善」をもっているのではないかな、というのが、最近の私の思うところ。それが分からず、表面で「これは偽善か」「これは偽悪か」と悩んだりする。
けれど、本当の「善」を認めることができれば、随分おおらかに生きられるような気がする。
自分自身を、受け止められるような気がする。
「性悪説」を唱える人は、そうは思わないかもしれないけど。

今の私は、皮を一枚一枚むいて、修行している真っ最中なのではないかと思う。
したがって、自分の中心にあるかもしれない「善」の存在が分からない。
死ぬまでに、いや、もしかすると死んでからも、それが分かるようになるんだろうか。

そんな、哲学的なことを考えたりする今日この頃。


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和宮様御留

かずのみやさまおとめ。と読む。
和宮様は人の名、御留は、貴人の書く日記や記録だそうだ。

花組芝居という、男性のみによって演じられる舞台を観に行った。
私はその中の、植本潤さんが好きなので、彼の名を見ると、追いかけたくなる。
オットは出張中。オニのいぬまに観劇。である。

和宮様とは、幕末、国体維持のために徳川家に降嫁(皇室を出て嫁に行くこと)した皇室のお姫様。
この舞台では、病弱な和宮様は実は降嫁せず、公家の家で奉公していたフキという、親のいない少女が、身代わりとなって江戸に下ることになった、という物語(有吉佐和子原作)だ。

フキは文字を書くこともできず、行儀作法もできない。唯一心を許していた少進(女官の役職名)が事情でいなくなってしまうと、周囲の「宮さんは偽物ではないか」との疑惑の中で、徐々に精神を冒されていく。

私の贔屓の植本さんは、このフキを演じていた。
彼は女形だけれど、外部出演も多く、私がファンになったのも外でのお芝居だった。
昨日気づいたのだけど、「カッコーの巣の上を」では精神病棟のビリーという少年、「ハムレット」ではオフィーリアを演じていて、「気が狂う」役が多いようだ。

フキは少進に再会した途端、気が緩んだのか突然「あてはお宮さんやない!」「皆知ってる」と叫び出し、「コンチキコンチキ」と祇園さんの真似をしておかしくなっていく。
その姿は、観ていて本当につらかった。切なかった。涙が出そうになった。

が。驚いたのは、ここで笑いが、それも大きな笑いが起きたことだった。笑う場面ではない。人知れず苦しみ抜いて、発狂してしまった人を、なぜ笑うのか。
フキの中に、確かに「コメディアン植本潤」がいて、サービス精神で笑いを取る仕草を入れていたのは事実だ。それに、植本さんは演技がコミカルで、笑いを取ることが多い役者さんだ。どんな役を演じても、笑いが起きるほど、彼の動きは滑稽であり、面白い。
でも、彼は植本さんであっても、フキなのだ。なぜ笑う。

思い起こせば、大竹しのぶと堤真一の「欲望という名の電車」で、大竹しのぶ演じるブランチがアルコール依存症で変な言動をするときも、その演技に対して笑いが起きた。
オフィーリアを演じる植本さんが発狂し出した時も、その動きに笑いが起きた。

なぜ、緊張の糸が切れて、精神的な病気が発症した人を見て笑うことができるのか、私には全く、断固として、全く、理解できない。

と、途中で本当に憤りを感じたが、全体的にはシンプルな舞台装置にもかかわらず絢爛豪華な花組芝居、男性ばかりというのもあって声が皆さん良いし、話も理解しやすく、女形は美しく、大満足して帰ることができた。

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